「もしもし」。 この二つの音ほど、日本の電話文化をやさしく象徴する言葉は少ない。 短く、丸く、少し遠慮があり、相手の存在を確かめる響きがある。 電話に出るとき、聞こえにくいとき、相手の反応がないとき、 私たちは自然にこの言葉を口にする。
英語の感覚で言えば、たしかに「Hello? Hello?」に近い。 しかし、「もしもし」は単なる挨拶ではない。 もともとは「申し、申し」または「申します、申します」に通じる呼びかけの言葉で、 「私は申し上げます」「そちらへ呼びかけています」という気配を持っている。 つまり、電話の向こう側へ、声をそっと差し出す言葉なのである。
「もしもし」は、ただの Hello ではない。声が届くかどうかを確かめる、日本語のノックである。
最初の電話は、不思議な機械だった。
電話が初めて一般の社会に入り始めた頃、人々はまだ「声が線を通って届く」 という感覚に慣れていなかった。目の前に相手はいない。 手紙のように紙もない。電報のように文字でもない。 しかし、受話器の向こうから人の声が聞こえる。 それは便利である前に、どこか不思議で、少し不安な体験だったはずである。
だから電話の第一声には、相手を呼ぶ役割だけでなく、 回線がつながっているか、こちらの声が聞こえているか、 そちらに本当に人がいるかを確かめる役割があった。 「もしもし」という反復には、その時代の不安が残っている。 一度では足りない。もう一度呼ぶ。 もし、もし。申し、申し。聞こえますか。こちらは話しています。
「もしもし」を読む三つの視点
- 語源。 「申し、申し」または「申します、申します」から変化した呼びかけと考えられている。
- 電話文化。 電話の初期には、相手に声が届いているかを確認する第一声として自然だった。
- 現代の使い方。 親しい会話や確認には使われるが、ビジネス電話では「お電話ありがとうございます」などがより丁寧。
「申し、申し」から「もしもし」へ
「もしもし」の由来として広く語られるのは、「申し、申し」が変化したという説である。 「申す」は、「言う」の謙譲語であり、相手に向かって何かを申し上げるという意味を持つ。 その「申し」が重なり、音がやわらかくなり、電話の第一声として「もしもし」が定着していった。
ここが面白い。 「もしもし」は、もともと英語の Hello を翻訳した言葉ではない。 日本語の礼儀、呼びかけ、謙譲の感覚から生まれた言葉である。 だから「Hello Hello」と訳すと雰囲気は近いが、根っこは違う。 「こんにちは」よりも、「申し上げます」「聞こえますか」「そちらに届いていますか」 に近い気配を持っている。
Hello は相手に会う言葉。「もしもし」は、見えない相手を呼び出す言葉である。
初期の電話では、別の言葉も使われていた。
興味深いことに、日本で電話が始まった当初から、誰もが現在のように 「もしもし」と言っていたわけではない。 古い解説では、初期には「もうす、もうす」や「おいおい」のような呼びかけもあったと紹介されている。 電話を持つ人がまだ限られていた時代には、言葉づかいも今ほど定まっていなかった。
やがて電話が広がり、電話交換手が人と人をつなぐ時代が来る。 交換手は、失礼にならないように相手へ呼びかける必要があった。 「申し上げます」という丁寧な感覚が、電話の場に合っていたのだろう。 その形式ばった呼びかけが、日常の音として短くなり、 「もしもし」として親しまれるようになっていった。
なぜ二回言うのか
「もし」ではなく、「もしもし」。 なぜ二回なのか。ここにも電話らしさがある。 反復は、相手への呼びかけを強める。 遠くの人に声をかけるとき、私たちはしばしば同じ言葉を繰り返す。 「おーい、おーい」「ねえ、ねえ」「聞こえる?聞こえる?」。 繰り返すことで、相手の注意をこちらへ向ける。
電話では、相手が見えない。 うなずいているのか、首をかしげているのか、まだ受話器を取っていないのか、 回線が切れているのか、こちらにはわからない。 だから二回呼ぶ。 もしもし。こちらは話しています。そちらは聞こえていますか。
この反復のやさしさが、日本の電話文化によく合っていた。 強く命令するのではなく、やわらかく確認する。 相手を急かすのではなく、存在を確かめる。 「もしもし」は、小さな言葉でありながら、見えない相手への配慮を含んでいる。
電話の向こうに、本当に人がいるのか
電話の初期体験を想像すると、「もしもし」の不思議さはさらによくわかる。 目の前にいない人の声が聞こえる。 こちらの声も、相手に届く。 しかし、機械の調子が悪ければ聞こえない。 回線が混み合えば雑音が入る。 交換の手順があれば待たされる。 通話というものは、今よりずっと頼りない体験だった。
その頼りなさの中で、「もしもし」は安心の合図になった。 相手が「もしもし」と返す。 それだけで、そこに人がいるとわかる。 電話の向こうは空白ではない。 そこに声がある。耳がある。人がいる。
Denwa.co.jp 的「もしもし」の意味
- 声の確認。 こちらの声が届いているか、相手の声が聞こえるかを確かめる。
- 存在の確認。 見えない相手が、本当にそこにいることを確かめる。
- 礼儀の入口。 いきなり用件に入る前に、相手の耳へやわらかく入る。
- 電話らしさ。 対面でも手紙でもない、電話特有の距離感を表す。
- 日本語の音。 丸く、軽く、押しつけがましくない響きがある。
「もしもし」は、ビジネスでは少し幼く聞こえることがある。
現代の日本語では、「もしもし」はとても親しみやすい言葉である。 家族、友人、親しい相手、聞こえにくいときの確認には自然に使える。 しかし、ビジネス電話では注意が必要である。 会社にかかってきた電話に出るときは、 「お電話ありがとうございます」「はい、○○でございます」 のように名乗るほうが丁寧に聞こえる。
これは、「もしもし」が悪い言葉だからではない。 むしろ、親しみが強いからである。 会社の電話では、相手を待たせず、誰が受けたのかをすぐ明らかにするほうがよい。 「もしもし」は、相手を確かめる言葉であり、 ビジネスではまず自分が誰かを示す言葉が求められる。
家の電話では「もしもし」。会社の電話では「お電話ありがとうございます」。言葉の違いは、関係の違いである。
映画や物語の中の「もしもし」
「もしもし」は、物語の中でも強い力を持っている。 夜中に電話が鳴る。受話器を取る。 「もしもし」と言う。返事がない。 もう一度、「もしもし」。 その瞬間、読者や観客は電話の向こう側を想像する。
恋愛でも、ミステリーでも、家族の物語でも、 「もしもし」は場面の扉を開く。 何が始まるのかは、まだわからない。 しかし、声が届く準備はできている。 電話の物語は、この二音から始まることが多い。
「もしもし」が消えない理由
スマートフォンの時代になっても、「もしもし」は消えていない。 画面には相手の名前が出る。電波状況も見える。 メッセージで事前に用件を送ることもできる。 それでも、通話が始まった瞬間、人はまだ「もしもし」と言う。
なぜなら、電話の根本は今も変わっていないからである。 相手は見えない。 声だけが来る。 こちらの声が相手に届いているか、完全にはわからない。 通話というものは、どれほど技術が進んでも、 ほんの少しだけ不確かで、ほんの少しだけ祈りに似ている。
「もしもし」は、その不確かさをやわらかく包む言葉である。 聞こえますか。話していいですか。そこにいますか。 それを一語で言えるから、この言葉は残っている。
電話の向こうに、人がいる。
Denwa.co.jp の合言葉は、「電話の向こうに、人がいる。」 「もしもし」は、その合言葉にもっとも近い日本語かもしれない。 受話器を取った瞬間、画面をタップした瞬間、声が途切れた瞬間、 私たちは相手の存在を確かめる。
もしもし。 それは、音の小さな橋である。 こちら側から向こう側へ、見えない空間を越えてかける橋。 その橋を渡って、声が届く。 相手が答える。 そこで初めて、電話は機械ではなく、会話になる。
「もしもし」は、電話が人間の道具であることを思い出させる、もっとも短い詩である。
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